デジタルライブラリー資料ピックアップ
ピックアップ(デジタルライブラリ)
| タイトル | 「風景」 創刊号 |
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| テーマ | ぐんまの貴重書 |
| 解説 | 「おうい雲よ」や「風景・純銀もざいく」などで知られる詩人・山村暮鳥は、明治17年に群馬県西群馬郡棟高村(現在の高崎市棟高町)で生まれました。郷里の代用教員を経て東京で神学を学び、伝道のかたわら萩原朔太郎や室生犀星と共に詩作に励みました。大正2年に結成した新詩研究社の機関紙である『風景』には彼らの詩が投稿されています。この資料は、暮鳥の教え子であった小山茂一氏から寄贈されたもので、暮鳥本人の手になると思われる推敲跡が残されています。 |
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| タイトル | 文公家礼通考(甘雨亭叢書より) |
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| テーマ | ぐんまの貴重書 |
| 解説 |
室鳩巣の著した儒学書。 幕末の安中藩主・板倉勝明が編纂した『甘雨亭叢書』の一部です。甘雨亭叢書には、伊藤仁斎や貝原益軒、新井白石など儒学者の著作のうち、当時未刊であったものが収められています。安中藩は、藩主自ら学問を好み、藩士や領民の教育に熱心に取り組むだけでなく、有事に備えて心身を鍛えるため、日本のマラソンの発祥と言われる「遠足(とおあし)」を奨励するなど、文武両道を振興しました。 |
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| タイトル | 高崎志 |
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| テーマ | ぐんまの貴重書 |
| 解説 |
上中下3巻。 1789年(寛政元年)、高崎藩の家臣であった川野辺寛がまとめた、高崎城の変遷、城下町の町名由来・名所旧跡・社寺宝物などを記した高崎城下の地誌です。 『群馬県百科事典』(上毛新聞社刊、昭和54年)の記述によると、『高崎志』は脱稿後、出版刊行される予定だったがなかなか実現せず、1910年(明治43年)に豊国覚堂により実現されたという経緯があります。当館所蔵の資料は、刊行前に書写されたものと考えられます。 |
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| タイトル | 必勝戦策 |
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| テーマ | 中島文庫と国政研究会 |
| 解説 | 昭和16年に太平洋戦争がはじまると、中島飛行機の創立者・中島知久平は、アメリカが航続距離の長い大型爆撃機を開発し、日本本土を爆撃するようになると予測し、これに対抗するための研究に没頭しました。その結果、史上空前の性能を持つ超大型爆撃機を製造し、アメリカの飛行機生産拠点を先制攻撃するという計画を立て、当時の政府要人や軍関係者へと極秘に配布し、賛同を求めました。この計画をまとめた資料が「必勝戦策」であり、そのなかで提案されたZ機=「富嶽」は、幻の超大型爆撃機と呼ばれています。 |
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| タイトル | 紀念写真帖(一府十四県連合共進会) |
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| テーマ | 古き良きぐんまの風景 |
| 解説 |
明治44年刊。 群馬県では、明治43年(1910年)9月17日から11月15日までの60日間、前橋市で農産物や生糸・織物、特産品や工業製品などを出品・展示する「一府十四県連合共進会」を開催しました。中心となる第一会場は、清王寺町(現・日吉町。今の県立図書館付近)に設けられました。 洋風のおしゃれなデザインの展示場には、様々な物品が飾られて人々の関心を集めました。会場周辺には、演芸場や余興場、売店に加えて高さ約30mの展望台が設けられました。夜になると建物がイルミネーションで彩られ、「我一代に於て又と再び斯くも壮麗なる光景を見るを得べきか」(『上毛新聞』明治43年10月3日記事)と称えられるほど見事な光景だったと記録されています。 共進会は大変に好評で、県内外から110万人を超える入場者が詰めかける群馬県最大のイベントとなり、前橋が大きく発展する契機となりました。 |
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