デジタルライブラリー資料ピックアップ
ピックアップ(デジタルライブラリ)
タイトル | 高崎志 |
---|---|
テーマ | ぐんまの貴重書 |
解説 |
上中下3巻。 1789年(寛政元年)、高崎藩の家臣であった川野辺寛がまとめた、高崎城の変遷、城下町の町名由来・名所旧跡・社寺宝物などを記した高崎城下の地誌です。 『群馬県百科事典』(上毛新聞社刊、昭和54年)の記述によると、『高崎志』は脱稿後、出版刊行される予定だったがなかなか実現せず、1910年(明治43年)に豊国覚堂により実現されたという経緯があります。当館所蔵の資料は、刊行前に書写されたものと考えられます。 |
|
タイトル | 富岡製糸場工女勉強之図 |
---|---|
テーマ | 富岡製糸場と絹産業遺産群 |
解説 | 富岡製糸場は、器械製糸の模範工場として明治5(1872)年に設立された、日本初の官営工場です。富岡製糸場に集った少女たちの憧れであった「一等工女」の凛々しい立ち姿を描いた錦絵です。赤いタスキに高草履の衣装は、日々の研鑽で高い技術を身に着けた一等工女の証といわれます。画中には、昭憲皇后が行啓の際に詠じた歌「いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道ひらけつつ」の額が描かれ、富岡製糸場に寄せる期待感が表現されています。 |
|
タイトル | 養蚕新論 |
---|---|
テーマ | 富岡製糸場と絹産業遺産群 |
解説 | 田島弥平(1822年から1898年)は、佐位郡島村(佐波郡境町島村)に生まれ、父とともに蚕種業に従事しました。イタリアに、最初の蚕種直輸出もしています。弥平は、1872(明治5)年に『養蚕新論』、1879年に『続養蚕新論』を出版しました。父子二代にわたる経験と科学的根拠に立脚して桑苗、栽桑、蚕種、飼育、経営収支などを詳しく解説したこの資料は、大きな反響を呼び、清涼育は全国に普及しました。資料に描かれている、蚕室の通気を良くするため屋根の上にやぐらを組んだ建物は、世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつ「田島弥平旧宅」の絵図です。 |
|