デジタルライブラリー資料ピックアップ
ピックアップ(デジタルライブラリ)
タイトル | 養蚕新論 |
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テーマ | 富岡製糸場と絹産業遺産群 |
解説 | 田島弥平(1822年から1898年)は、佐位郡島村(佐波郡境町島村)に生まれ、父とともに蚕種業に従事しました。イタリアに、最初の蚕種直輸出もしています。弥平は、1872(明治5)年に『養蚕新論』、1879年に『続養蚕新論』を出版しました。父子二代にわたる経験と科学的根拠に立脚して桑苗、栽桑、蚕種、飼育、経営収支などを詳しく解説したこの資料は、大きな反響を呼び、清涼育は全国に普及しました。資料に描かれている、蚕室の通気を良くするため屋根の上にやぐらを組んだ建物は、世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつ「田島弥平旧宅」の絵図です。 |
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タイトル | 赤城名勝絵葉書 |
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テーマ | 古き良きぐんまの風景 |
解説 | 群馬県を代表する名山「赤城山」の風景を描いた絵葉書です。 |
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タイトル | 紀念写真帖(一府十四県連合共進会) |
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テーマ | 古き良きぐんまの風景 |
解説 |
明治44年刊。 群馬県では、明治43年(1910年)9月17日から11月15日までの60日間、前橋市で農産物や生糸・織物、特産品や工業製品などを出品・展示する「一府十四県連合共進会」を開催しました。中心となる第一会場は、清王寺町(現・日吉町。今の県立図書館付近)に設けられました。 洋風のおしゃれなデザインの展示場には、様々な物品が飾られて人々の関心を集めました。会場周辺には、演芸場や余興場、売店に加えて高さ約30mの展望台が設けられました。夜になると建物がイルミネーションで彩られ、「我一代に於て又と再び斯くも壮麗なる光景を見るを得べきか」(『上毛新聞』明治43年10月3日記事)と称えられるほど見事な光景だったと記録されています。 共進会は大変に好評で、県内外から110万人を超える入場者が詰めかける群馬県最大のイベントとなり、前橋が大きく発展する契機となりました。 |
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タイトル | 紀念写真帖(一府十四県聯合共進会) |
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テーマ | 古き良きぐんまの風景 |
解説 | 明治43年9月17日から2か月間、前橋市で開催された群馬県主催一府十四県聯合共進会の写真集です。現代でいえば「博覧会」で、110万人を超える入場者でにぎわいました。会場は、清王寺町(現在の群馬県立図書館周辺)に設けられ、電飾に彩られたパビリオンの中には、関東・東北から集められた繭や生糸をはじめ、9万点に及ぶ産物が陳列されました。 |
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タイトル | 必勝戦策 |
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テーマ | 中島文庫と国政研究会 |
解説 | 昭和16年に太平洋戦争がはじまると、中島飛行機の創立者・中島知久平は、アメリカが航続距離の長い大型爆撃機を開発し、日本本土を爆撃するようになると予測し、これに対抗するための研究に没頭しました。その結果、史上空前の性能を持つ超大型爆撃機を製造し、アメリカの飛行機生産拠点を先制攻撃するという計画を立て、当時の政府要人や軍関係者へと極秘に配布し、賛同を求めました。この計画をまとめた資料が「必勝戦策」であり、そのなかで提案されたZ機=「富嶽」は、幻の超大型爆撃機と呼ばれています。 |
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