デジタルライブラリー資料ピックアップ

ピックアップ(デジタルライブラリ)

タイトル 富岡製糸場工女勉強之図
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 富岡製糸場は、器械製糸の模範工場として明治5(1872)年に設立された、日本初の官営工場です。富岡製糸場に集った少女たちの憧れであった「一等工女」の凛々しい立ち姿を描いた錦絵です。赤いタスキに高草履の衣装は、日々の研鑽で高い技術を身に着けた一等工女の証といわれます。画中には、昭憲皇后が行啓の際に詠じた歌「いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道ひらけつつ」の額が描かれ、富岡製糸場に寄せる期待感が表現されています。
タイトル 養蚕新論
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 田島弥平(1822年から1898年)は、佐位郡島村(佐波郡境町島村)に生まれ、父とともに蚕種業に従事しました。イタリアに、最初の蚕種直輸出もしています。弥平は、1872(明治5)年に『養蚕新論』、1879年に『続養蚕新論』を出版しました。父子二代にわたる経験と科学的根拠に立脚して桑苗、栽桑、蚕種、飼育、経営収支などを詳しく解説したこの資料は、大きな反響を呼び、清涼育は全国に普及しました。資料に描かれている、蚕室の通気を良くするため屋根の上にやぐらを組んだ建物は、世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつ「田島弥平旧宅」の絵図です。
タイトル 絵本宝能縷 
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 江戸時代中期の浮世絵師、北尾重政と勝川春章の合作による絵本です。
「かゐこやしなひ草」第一~第十二の絵図に、蚕種の孵化から飼育、製糸、反物のできるまでが描かれており、後に多くの絵師が手がけた「蚕養草」の原形になったともいわれています。
タイトル 開化養蚕之図
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 三枚組。
明治期に活躍した歌川派の絵師・楊州周延の作で、明治4年に始まった宮中養蚕がモチーフとなっています。明治時代の殖産興業にかかる啓蒙の一端が伺えます。
群馬県立図書館の特別文庫のひとつ「小野寺文庫」は、養蚕錦絵をはじめ、5,000点を超える養蚕書、生糸商標や当時の広告等を収める絹産業の一大資料コレクションです。
タイトル 養蚕法
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 高山長五郎は、ユネスコ世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつ『高山社』の創立者です。
高山社の伝習所・私立甲種高山社蚕業学校では、長五郎が確立した養蚕飼育法「清温育」を広める人材を育成しました。
この資料は、高山社第2代社長として、高山社蚕業学校長を勤めた町田菊次郎が著しました。当時の蚕業学校の様子等が写真で残されています。
タイトル 藍香翁
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 「藍香」とは、富岡製糸場の初代所長を務めた尾高惇忠(おだか・あつただ)の号であり、この資料はその伝記です。
尾高惇忠は、現在の埼玉県深谷市出身。民部省の官僚として富岡製糸場設立準備にあたり、開所後は、所長として草創期の製糸場運営と技術の発展に尽力しました。また、同郷の渋沢栄一に論語を教えた師でもあります。
タイトル 出がら繭の記
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 明治4年、殖産興業政策のなか、蚕糸業の振興を目指し、宮中において養蚕が始められました。
宮内庁から、教師役の選定を命じられた大蔵省の渋沢栄一は、境・島村の養蚕・蚕種製造家である田島武平を推挙し、武平と女性4名が昭憲皇后の御親蚕に奉仕しました。この資料は、田島武平の没後(昭和4年)、子孫の求めに応じて、その功績を称え、渋沢栄一自身が書き記した追悼文です。
タイトル 貯蔵蚕種受付台帳
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 明治37年、高山社蚕業学校で学んだ庭屋千尋は、父・庭屋静太郎とともに下仁田町荒船山の風穴を利用した蚕種冷蔵貯蔵施設を設置し、「春秋館」と号して営業しました。それが、ユネスコ世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつである「荒船風穴」です。
この資料を含めてデジタル化した春秋館の帳簿類は、荒船風穴の蚕種貯蔵の実態を知ることができる貴重な一次資料です。