デジタルライブラリー資料ピックアップ

ピックアップ(デジタルライブラリ)

タイトル 「風景」 創刊号
テーマ ぐんまの貴重書
解説 「おうい雲よ」や「風景・純銀もざいく」などで知られる詩人・山村暮鳥は、明治17年に群馬県西群馬郡棟高村(現在の高崎市棟高町)で生まれました。郷里の代用教員を経て東京で神学を学び、伝道のかたわら萩原朔太郎や室生犀星と共に詩作に励みました。大正2年に結成した新詩研究社の機関紙である『風景』には彼らの詩が投稿されています。この資料は、暮鳥の教え子であった小山茂一氏から寄贈されたもので、暮鳥本人の手になると思われる推敲跡が残されています。
タイトル 開化養蚕之図
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 三枚組。
明治期に活躍した歌川派の絵師・楊州周延の作で、明治4年に始まった宮中養蚕がモチーフとなっています。明治時代の殖産興業にかかる啓蒙の一端が伺えます。
群馬県立図書館の特別文庫のひとつ「小野寺文庫」は、養蚕錦絵をはじめ、5,000点を超える養蚕書、生糸商標や当時の広告等を収める絹産業の一大資料コレクションです。
タイトル 赤城山廻遊案内
テーマ ぐんまの貴重書
解説 岩澤正作(いわさわ・しょうさく/1876年~1944年)は、明治9年に神奈川県に生まれ、明治35年に前橋中学校(今の前橋高校)に教師として着任しました。博物学を教えるかたわら、県内の歩いては土器のかけらや鉱物など収集し、研究するなどその知識を生かして活動し、昭和4年には毛野研究会を組織、雑誌『毛野』を刊行し、本県の考古学、博物学の先駆けとなりました。
なかでも赤城山を愛し、この「赤城山廻遊案内」をはじめガイドブックを出版して、その紹介に努められました。当館デジタルライブラリーでは、岩澤正作の著書を4点ご覧いただけます。
タイトル 中島文庫図書目録
テーマ ぐんまの貴重書
解説 多くの傑作飛行機を生み出し、戦前の日本の航空機産業を担った「中島飛行機」。その創業者である中島知久平は、国務大臣を担う政治家でもありました。昭和6年、国内では民間初のシンクタンクと言われる「国政研究会」を組織し、国際情勢の分析や政策立案のため、さまざまな資料を収集しました。その資料群は、戦後に群馬県議会へと託され、その後当館の所蔵となりました。
国政研究会が作成した資料の一部については、デジタルライブラリーでご覧いただくことができます。
タイトル 出がら繭の記
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 明治4年、殖産興業政策のなか、蚕糸業の振興を目指し、宮中において養蚕が始められました。
宮内庁から、教師役の選定を命じられた大蔵省の渋沢栄一は、境・島村の養蚕・蚕種製造家である田島武平を推挙し、武平と女性4名が昭憲皇后の御親蚕に奉仕しました。この資料は、田島武平の没後(昭和4年)、子孫の求めに応じて、その功績を称え、渋沢栄一自身が書き記した追悼文です。
タイトル 養蚕法
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 高山長五郎は、ユネスコ世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつ『高山社』の創立者です。
高山社の伝習所・私立甲種高山社蚕業学校では、長五郎が確立した養蚕飼育法「清温育」を広める人材を育成しました。
この資料は、高山社第2代社長として、高山社蚕業学校長を勤めた町田菊次郎が著しました。当時の蚕業学校の様子等が写真で残されています。
タイトル 必勝戦策
テーマ 中島文庫と国政研究会
解説 昭和16年に太平洋戦争がはじまると、中島飛行機の創立者・中島知久平は、アメリカが航続距離の長い大型爆撃機を開発し、日本本土を爆撃するようになると予測し、これに対抗するための研究に没頭しました。その結果、史上空前の性能を持つ超大型爆撃機を製造し、アメリカの飛行機生産拠点を先制攻撃するという計画を立て、当時の政府要人や軍関係者へと極秘に配布し、賛同を求めました。この計画をまとめた資料が「必勝戦策」であり、そのなかで提案されたZ機=「富嶽」は、幻の超大型爆撃機と呼ばれています。
タイトル 史蹟精査報告 第一
テーマ ぐんまの貴重書
解説 大正15年(1926年)3月刊、内務省編。
「上野三碑」(多胡碑・山上碑・金井沢碑)を含む3つの史跡に関する調査報告書です。
大正末期の三碑について、本体(碑文の拓本)及び周辺の様子が、写真や図面で記録されています。
タイトル 絵本宝能縷 
テーマ 富岡製糸場と絹産業遺産群
解説 江戸時代中期の浮世絵師、北尾重政と勝川春章の合作による絵本です。
「かゐこやしなひ草」第一~第十二の絵図に、蚕種の孵化から飼育、製糸、反物のできるまでが描かれており、後に多くの絵師が手がけた「蚕養草」の原形になったともいわれています。